中学受験のときからか敬遠していた科学雑誌Newtonを買ってみた。
別冊Newton(ニュートン)『哲学』『ゼロからわかる心理学』2冊買ってきた。
ニュートンは、中学受験で小4から通っていた市進学院という塾の雑誌コーナーにいつも置かれていた。分子がなんちゃら、宇宙がなんちゃらとかいうタイトルにまったく興味が持てず。いかにも理系の賢い、若干オタク気質の人が好んで読んでいるイメージもあり、違う世界を生きる人のモノ、という認識を持っていて避けてきたのだ。
「あーなんかすごそう。でもおれのアタマじゃ理解できないだろうなー。買っても、お金の無駄だ。」
なんて思いながら、本屋で目にしても度々スルーしてきた。ではなぜ15年以上一ミリも触れてこなかったニュートンを買ったのか。
まず、なぜスルーせず手に取ったのか?
それはずばり、内容に惹かれたから。
シンプルだ。具体的な説明をしていく。
哲学のルーツと全体像を学びたかったから。
パラっとめくっとみると、いきなり哲学の全体像をザクッと表した図が目に入った。これだ!買いだ。
即決した理由は、これまでの学び方にある。ここ1年ほどは、哲学の部分部分をつまみ食いしながら学んできた。
ただ漠然と、こんな具合。
「ソクラテスの問い続ける姿勢は真似しよう。エピクロスの友情と質素な生活を大事にする思想はなんか共感できるな。アドラーの自己決定性(究極すべては自分で決めた行動である)はマジくさいな、なんでもやろうと思えばできるはずだ。サネカの時間の価値をわかってねえお前ら的な熱弁は、繰り返し読まなければあかんまだ人生長い感はどうしても拭えない。フーコーが語る視線の内面化は、SNSのめり込んでる奴みんな陥ってないか、SNS避けよ。」
全体像がわかっていないので「自分は、哲学のどんな領域に関心があるのか?」さえも理解していない。
ゼロから歴史と全体感を学んでおけば、「ひとつひとつの主張にリアクションして行動方針をつくる」だけでなく、「文脈(主張の背景)を踏まえ、現代に合わせた独自の考えをつくる」ことができそう。
そんな期待が一気に膨らんだから買うことにした。
コミニケーションに活かせる心理学を探すため。
6月から新しい職場で働くが、営業要素が入ってくる。これまでライティングや編集ばかり、PCと向き合って黙々と作業することばかりやってきた。外向きの営業などは一ミリも経験がない。
先週会った、起業して波に乗っている優秀な元上司がこんな発言をしていた。
「うちに新しくイケてる優秀な営業マンが入った。なにより他人の懐に入る力がピカイチ。でも何より超絶論理的でクレバー、心理学にも精通してるらしいし。」
心理学だと?
実用性が高く、書籍も増え続け売れている。世間でも人気な分野というのはわかっていた。
でもここ1年くらい、僕の中にいる天邪鬼的なキャラクターは言っていた。
「そんなの学ばなくていーよみんなやってるし、小手先になるよ、結局は経験と反復だよ。はい、やめやめ。」
と、心理学を学ぼうとする自分を阻止してきた。
でも初出社の6月まであと10日。やれることはやっておこう。使えるものだけつまみ食いしよう。と思い購入した。哲学と同じく、「心理学とは?」というそもそも論からはじまる解説の流れにも惹かれた。あとこの図。
哲学と同じく、全体像を視覚的に理解できるなこれ。という印象が購入の決め手。
余談だが、やっぱり人間は図みたいな右脳的なものに直感的に惹かれてしまう。論理は後付け。買うかどうかはほとんどの場合、右脳で判断してるんじゃないか。って気づきも(書きながら出た)。
最近いろんな本を買ってきたが、こんだけ買った理由を言語化したものはない。買った理由をハッキリさせると「読むべくして買ったんだ」という気持ちになり、モチベが上がる。一方で、「読むべき理由を自分に押し付けて、無理矢理読ませようとしている」ような感覚もある。何もせずとも買った瞬間に心の底から興味の水が湧き出るようなモチベがないってことかもしれない。
まあそれも読んでからどうなるかだ。さあ今日は読むぞ。
哲学者の推しメンを決めよう。