何でもかんでも記録をするのが好きなのは、なぜだろうか。
記録することが好きだ。
なぜだろうか? 考えてみようと思う。
ドクターストーンでは、冒険家で採集好きなクロムがすき。直感的に惹かれていたが、なんだか理由がありそうだ。
おそらく僕は、なにかを集めたり記録したりする収集心が異常に強い。そうに違いない(クロムみたいな頭脳や発想力はもっていないけど)。
収集心というと「何かモノを集めるのが好き」というイメージが湧く。でも、明らかに違う。集めているモノは何ひとつない。必要ないモノはなるべく捨てたい。普段使わないモノは視界に入れたくないタイプのシンプル好きだ。
じゃあ、何を集めたい人間なんだろうか?
僕が集めたいのはおそらく、情報だ。いわゆる情報オタクなのかもしれない。
しかし、どんな情報でもOKなワケではない。例えば、車やカブトムシ、お酒には全く興味がない。車に関する雑誌を10万円分プレゼントされても、5年は読まないで放置する自信がある。
きっと興味がないジャンルの共通点は、自分の人生に不要(現時点では)なところ。要は、「実用性があるかないか」ではないか。誰だってそうか。いや、もうちょっと踏み込んでみる。
では実用性さえあれば、どんなジャンルでもOKなのか?いや、そんなことはないはず。
なにより僕は、神話が好きなのだ。特に、古事記が大好きだ。5月頭にはソロで出雲大社に行くために島根旅行をしたくらいだ。歩きながらニヤニヤしていた。
(↑この本がめちゃわかりやすくて面白いからおすすめ)
神話には、どれだけ真実が含まれているのか、誰にも真相はわからない。まあ95%以上は嘘っぱちで作為的な作りものだと思っている。実生活に直接活きることはない。実用性なんてほとんどないじゃないか。
じゃあ、何が好きなんだ?
5%だ。僕はきっと、"もしかしら真実かもしれない残りの5%"にときめいている。それが神話好きである理由のひとつだろう。
うん、なるほど。つまり、僕は実用性の中でも
答えがなく自由に考えられる、
余白の残されたジャンル
これが好きに違いない。このジャンルの情報を集めたいのだ。
おそらく、変数が多すぎて"答えっぽいもの"は見つかっても、"明らかに違う答えがある"ジャンルも好きだろう。哲学が一番好きで、心理学はまあまあ好きだ。
高校時代は倫理の授業がなんか好きで夢中になっていた。大学のときは、サイゼリアでドリンクバーだけ頼みながら、哲学好きの友人と「好きとは何か?」という議論を永遠に楽しんでいた。
脱線したが、つまるところ僕は、
自由に考えたいのだ。答えが欲しいわけではない。
ちょっぴり映えた表現をしてみると、アリの巣みたいに思考の枝葉をしげらせたい。って感じだと思う。
僕の先祖にアリがいたならば、きっとそのアリは、餌を手に入れることではなく、運ぶ道中が好きなタイプのアリだろう。餌を運ぶ先の目的地が遠ければ遠いほど、複雑であればあるほど、生き生きするタイプであり、たどり着いたら熱が冷めてしまうアリに違いない。
僕の本能には、「なにごとも、自分なりの工夫加えながら、自由に道中を楽しみなさい」というアルゴリズムが組み込まれていることがわかった。
何でもかんでも記録しまくっていた理由は、
答えがないモノゴトにたいして、自分なりに工夫して自由に考えるための材料集め
のため。たどり着いた。現時点での結論だが、この達成感と納得感は限りなく核心に近いということだろう。
僕がシアワセな人生を歩むための原理原則が、意外とシンプルでだったので嬉しい。
自由に考え続けろ!ということだ。そう信じてしばらくやっていこう。つらつら思うがままに書き続けてたら、また少し生きやすくなってきた。